プロフィール私の歩み
赤木貴尚(あかぎ たかひさ)
エピソード
誕生〜
- 昭和44年8月21日 壱岐公立病院にて誕生。
- 末っ子の私は、兄姉によく可愛がってもらいました。
- おむつが取れたのは3歳くらいだったかな…?
幼少期〜
- 今年で280年を迎える壱岐郷ノ浦祇園山笠。物心ついたときから参加してました。
- 自営業で忙しかった父。そんな中で連れてってもらうドライブや旅行の思い出は今も心に残っています。
- 幼稚園時代“斜頸”の手術で福岡の浜の町病院へ。ひとりでの入院生活が寂しくて…。
盈科小学校時代
- とにかく“やりたい”と思ったことは何にでもチャレンジしていました。
- スポーツが大好きで、まず最初に始めたのは小学4年の時の空手。
- 高学年ではソフト・野球に目覚め、チームメイトと日が暮れるまでボールを追いかけていました。
- 小学6年の時は児童会会長。運動会の宣誓を間違ったことを覚えています(笑)
武生水中学校(現:郷ノ浦中学校)時代
- 中学では勉強してたかな…? “文武両道”を目標に頑張ってたつもりです(笑)
- 部活はバスケット&陸上(短距離)と2足のわらじで汗を流しました。バスケットでは優勝して県大会へ出場!
- 中学3年生の時には生徒会長を務めました。この時が自身初の選挙出馬!
壱岐高校時代
- 高校は家から歩いて3分! なぜだか登校は毎回駆け込み…一応セーフ(笑)
- 高校は隔年で体育祭→文化祭→体育祭。2年時の文化祭ではプラネタリウムをクラスのみんなで作った思い出があります。
- 修学旅行は飛騨・高山→京都のコース。高校生にはちょっと渋いルートでしたね。
- 高校時代は遊びに夢中になる反面、漠然とした不安を抱いていた記憶があります。俺は将来何になりたいんだろう…と。
専門学校時代
- 大学受験に失敗… 振り返っても大きな挫折だったと思いますが、逆にこの時の経験が私のその後の人生に大きく影響したと思います。
- 島を離れて神奈川でのひとり暮らし。時折ホームシックになりながらも頑張ってたことを思い出します。
- この当時はすべてが“初物尽くし” ☆初の一人暮らし ☆初のスキー ☆初の海外 ☆初の富士キャンプ… その中で多くの方と出会い、たくさんの経験をし充実した日々を送ることができました。
インストラクター時代
- やっぱり俺は体を動かすことが好きなんだなぁ〜。当時住んでいた神奈川県の海老名で体操のお兄さんに!ただ…体の硬さは昔から変わらず…。いいお手本になれていたんだろうか?
- その後セントラルスポーツ武蔵小杉のオープンに際し、インストラクターのアルバイトスタッフとして勤務。
- そしてセントラルスポーツの正社員に。今まで以上に指導者としてのスキルアップを図るべく打ち込んだことを覚えています。
セントラルスポーツ勤務時代
- セントラルスポーツ武蔵小杉 → 平塚 → 静岡 と勤務地が変わりながら、多くの生徒さん、先輩・同僚スタッフの方々との出会いがありました。
- 最後の勤務地となった静岡は当時会員数が2000人!ダイビング・水泳・スカッシュ・ジム etc 日々指導に燃えていました。シンクロのオリンピック代表選手、小谷実可子さんも案内させていただきました♪
- そして壱岐への帰島を決意。別れの際には多くの生徒さんに送別会を企画していただきました。皆さん元気にされているだろうか…時折思い返すこともあります。
壱岐へ帰島〜
- 壱岐暮らしの第2章が始まる。一度島外での生活を経験したことで壱岐の魅力や人の温かさを改めて実感できました!
- 若かったですね…この頃は髪も茶髪でシティボーイ風(笑)
- 消防団では市民の皆様の生活を守る“使命”を強く感じました。
- 太鼓と出会いその魅力に取り憑かれたころ。日に日に思いが強くなりとうとう玄海怒涛太鼓を創設!